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河合つくし通信

取りまとめのないブログです…。一応細く長く続けていく予定。

陽明学について…自分なりの理解

 

②「陽明学」について

前回、朱子学について書いたので今度は陽明学の大義(っても自分なりに噛み砕いた理解)を書いてみる。

乱暴な言い方をするならば、朱子学は「心の迷いを悪いもの」と捉えた思想になると思う。

なぜ、悪いものととらえるのか…。それは、朱子学には「こういう考えこそが正義」という考えで成り立っている思想だからだ。

つまり融通の利かない教条主義的なところがあるといったところか。

陽明学は「朱子学」を批判するために生まれた思想だ。

陽明学は、心の迷いを悪とは捉えていない。いやむしろ陽明学は「理」でいう「情」(心の迷い)こそが理である。外側の考え、すなわち誰かから「理」の在り方を学ぶ必要なんてない。

「理」は、人間に最初から備わっているものなのだという考えである(致良知)。

朱子学はただひたすら学ぶことによって、人は聖人に近ずくととらえているが、朱子学はまず、行動することによってものを知ることができるという考えだ。すなわち実践を重んじる行動的な主張を唱える。実践することによって様々なことを認識し、体験することで、人は成長できる。朱子学はしょせん、知っても行動しない(できない)考えだが、陽明学はまず行動することでものを知ると唱える。これを端的にとらえた言葉が「知行合一」という。

まぁなんだ。よーするに朱子学は、誰かから教えられた考えをがちがちに守れという考え方だが、陽明学は自分の中にあるものを重視するラフな考えといったところか。そして実践的な考え方である。

この陽明学に傾倒した偉人には、大塩平八郎西郷隆盛吉田松陰といったお歴々がいるがみな行動的だ。彼らはその行動を持って陽明学の大義を世に示したのだと私は考えている。この考え方、私は好きだな。ざっと書きましたので間違い多しかも…。そのへんはごめんなさい。ではでは!