読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

河合つくし通信

取りまとめのないブログです…。一応細く長く続けていく予定。

青年将校の一人、池田俊彦の「生きている二・二六」は、朝鮮人テロリストの朴烈を認めていた。なぜなのか…自分なりの考えを書いてみる。

ニ・ニ六事件に参加した青年将校の一人、池田俊彦の「生きている二・二六」(ちくま文庫)p193より少し抜粋する。かなり興味深い事がかいてありまっせ。

 

生きている二・二六 (ちくま文庫)

生きている二・二六 (ちくま文庫)

一つ忘れがたく残っているのは、朝鮮の朴烈である。有名な朴烈事件の当事者である彼は朴準植と名乗っており、あのような事件を起こした者とは思えぬ温厚な人であった。或る時、彼は私に何故彼が反日活動に出たかを話してくれた。日本統治下の朝鮮にあって、彼は初めから反抗的気持ちを抱いていた者ではなかった。

朝鮮の農民は日本と同じく皆貧しかった。そして不作の時には肥料を買う金にも困窮した。それを日本人の高利貸しから借りたのである。高利貸し達は親切に面倒を見てくれた。豊作の年に金を返済しに行くと、今すぐ返さなくてもいいといって、貸し金の繰り延べをした。農民たちはそれを行為に受け取って、余った金は他のところに注ぎこんだ。そして不作の年がきた。その時、依然と同様に借入金を頼みに行ったところ以前とはがらりと態度が変わり、貸し金の即時返済を迫られた。そして早期返済の見込みのないことを見届けて、土地の名義を書き換えてしまったのである。その土地はもう二度とその農民の手には返らなかった。

このようにして日本の悪徳商法は帝国主義的侵略主義と共に朝鮮の民衆に抗うことのできない汚点を残していったのである。私は彼の悲憤を聞くと共に激しい怒りを覚え、出来れば直ちに乗り込んでいって彼奴等を叩き斬ってやりたい衝動に駆られた。朴さんは私たちに対しては友好的であった。

 引用終了。

 

池田氏は朴烈と千葉刑務所内で出会ったようです。この話はその時の事のようです。

 

なぜ私がこれを引用したのかというと…

昔の真の国士は政治的主張云々の前に一人の人間であった。だから、どんな主張以前に苦しむ人々を見てられなかった、行動した。 そして立場は違えども同じく行動したものに対してはそれ相応の敬意を払っていたという事だ。今のネトウヨさんにはそれが足りない。私はそう思う。それを彼らに伝えたかった。

民族、思想の違いは確かにある。でも活動者ならば、その根底には民を思う気持ちがなければいけないし、民には民族も思想の問題もない。ただ強者に弱く踏みにじられるものなのだ。真に行動する者は、時間かかれどもいつか、民を救うためになんらかの行動を起さなけらばならない。それは穏やかな物に、或いは小さななるかもしれん…それでも構わん。とにかく何かやるべきだ。民を思い救うためには。活動家も民の一人。民は仲間であり自分であり自分たちの子の世代である。

 

つまんねー違いばかり追い求めて、民を救う事を忘れたネトウヨさん。貴方達はそれでいいの?私はそれはイケないと思うし、言い続ける。文句ある方は↑の記事を参照。この日ならば会えます。私と会って思いのたけを話してくれませんか。貴方達世間から非難されるネトウヨさん達にも自分なりの正義はあるのでしょうよ。私は貴方達を批判するが、拒絶はしない。