河合つくし通信

取りまとめのないブログです…。一応細く長く続けていく予定。

「保守」とは?(ネトウヨ以前の保守の歴史)

「保守」とは?

最近、ネトウヨやそれに煽られた一部の政治家が「愛国者の俺こそ保守だ!」的言動を繰り返すおかげで、保守の定義があいまいに…いやはっきり言ってその言葉が安っぽくなってしまったと思う。故に私が「保守」とは何か?という事を簡単に書いていく。

 

 

そもそも保守(右派)と左翼は根本から違うもの。ネトウヨが言うように右派が愛国者で左派が売国とかそーいうことは原理上はけしてない。

 

簡単に言うと左翼は、アンチ保守である。保守とは現状の政治体制(日本でいう天皇制)をとりあえず肯定する人たちである。一方左派は、まず現状の政治体制を疑う。

 

たとえば日本は天皇制(国体)の国だが…天皇はなぜ偉いんだろう?と左翼は考える。

そこに科学的根拠があるのか?そう考えるわけだ。

 

一方、保守は、科学的根拠よりも今まで天皇を戴いたままこの国は運営されてきたわけだし…特に変える必要もないだろうと捉える。

 

現行憲法下では当てはまらないが、旧帝国憲法下ではものすごーい権限と財産が天皇に集中していた。なぜそんな権限と財産を天皇が持っているのか?おかしいじゃないかと考えるのが左翼だ。

 

一人、もしくは少数の集団に権限や財産が集中させるのではなく、市民みんなが一人一人の責任で権限と財産を持とうよ!と主張するのが左翼の基本的な考え方だと思う。

 

左翼は神話(宗教)や超常現象に由来する権力を否定している。そんなものは、人々の心が生み出した幻である!というわけだ。目に見えないもの、手に取れないものは信じない。これが左翼の根本的思想である「唯物論」という考えだ。故に左翼政党である共産党は、天皇制を否定している。正確に言うと現行憲法下での天皇制は肯定しているが、仮に共産党が憲法を改正するほどの力を持った時、それでも共産党は天皇制を維持する憲法を守るだろうか、そこは考えるべきだ。

 

一方で、保守の考えは違う。保守は、この世のすべては気の持ちよう。あると思えばあるし、ないと思えばない。天皇制は確かに神話に基づいた権威だが、今まで日本人は皆それを信じてきた以上、その神話はあながちウソではないし、それを追及する必要もないと考えている。ちなみにそれが左翼の根本的思想である「観念論」という考え方だ。

 

私は観念論的な立場をとりたい。なので私の考え方は保守に近いと思う。

 

 

ただ、左翼の唯物的な考えも分からなくない。確かに神話など所詮、一方的で根拠のない思い込みかもしれない。

 

フランス革命時の貴族などがいい例だが…特権階級は神話に基づいた権威を保持して、普通の民衆よりも何倍もいい目を見ている。そして、その権威を悪用して庶民をしいたげていた場合も歴史上、数多あっただろう。

 

それはおかしいと思うのは当然だし、ならば、その特権を享受するお偉方の主張の根源たる神話って本当に正しいの?と疑うのは自然だと思う。

 

実際に左翼側が保守側を打倒した革命の一つであるフランス革命において、革命政権は旧来の貴族体制を支えたキリスト教は弾圧した。その代わり「人間の理性」を尊ぶための「最高存在の祭典」なるイベントが行われたそうだ。もっとも人間の理性にのみ頼ったその政策は失敗してしまうのだが…フランス革命の失敗は頭でっかちな左翼も必要だが、経験と権威に頼る適当な保守も必要だっていう歴史的教訓になると思う。

 

保守の種類分け。

さて…保守にも2種類あると思う。具体的に言うと「体制型の保守」と「反体制保守(右翼)」だ。それぞれ解説していこうと思う。

 

 

「体制型の保守」

一言でいうならば…

日本における体制型保守とはすなわち戦後の自民党そのものといえる。すなわち親米、改憲姿勢、統制経済、国土開発、反共産主義を掲げたのが「体制型の保守」の特徴といえよう。

 

戦前の日本は産業界においては財閥が幅を利かせ、地方部では地主が大きな力を持つという半封建社会であった。

 

戦後の日本を統治したGHQはそういう社会が日本の軍部増長を招いたとみなして、財閥解体、農地解放、シャウプ勧告という一連の政策をとる。これにより極端な富裕層は減少して中産階層が形成される。

 

GHQが去った後に政権運営を行った歴代の自民党内閣は

 

・労働者に対しては、社会不満から左傾化せないように、正社員の解雇規制の強化(終身雇用)、社会保障の充実を行う。

・財閥の一部再建。政府主導の産業育成計画(日本株式会社)

・発展が遅れがちになる地方にも積極的にインフラを整備して地方経済の底上げを図る。

 などの政策をとった。外交的にはかつての仇敵米国に臣従してでも、西側諸国の一因になって、貿易立国になることを目指した。

 

このように社会を均一した豊かな国にすべく諸政策をとったのが体制型保守の特徴である。

 

まとめると…

現実的政策に終始したのが体制型保守の特徴といえよう。彼らは日本の経済発展を「保ち」「守ろう」とした。かつて対立していた米国にも頭を下げる姿のように往来度ではなく実益を取ったのだ。

 

そういう「体制派保守」には、経営者、地方の有力者(土建屋、農協等)。及びそこに務める中間階級の大半が多いという。そしてその中の代表者が自民党の候補として国政に打って出るわけだ。

 

つまり、経営者や土建屋、農協等の支持団体から推薦を受けた議員は、その団体の利益を代表し「保ち」「守る」ために活動している。

 

特に地方部の議員は、自分の選挙区によりたくさんの国の予算を投資させてインフラを整備させることを目指しているから、インフラ整備積みの都市部の選出議員よりも一段とさらに「保ち」「守る」意気込みがあるのだろう。

 

つまり…

何か具体的な利益、地域、産業、そしてそこに連なる人々(労働者と家族)を「守り」「保とう」という 姿勢が正当な体制型保守だという事です。

 

 「反体制型保守(右翼)」とは何か?

一言でいうならば現実より理想をとった方々のことを指すと思う。ここでは彼らのことを右翼と呼称してみたい。その理由は後ほど書く。

 

では改めて…日本における右翼とは何か…?

 

右翼思想は思想ではなく「郷愁」に近いものだと思う。右翼には帰るべき過去の歴史が常にあった。それは神聖で至上唯一無二な存在である天皇がこの国を総べていた太古の歴史である(その成否は別として…。)。

 

 

よく右翼の街宣車が流している曲に「昭和維新の歌」というものがある。その一節に…

 

『権門上に傲れども 国を憂うる誠なし 財閥(ざいばつ)富を誇れども 社稷(しゃしょく)を思う心なし』

というのがある。

 

社稷(しゃしょく)とは

古代中国に於いては、土地とそこから収穫される作物が、国家の基礎であると考えられており、村ごとに土地の神と五穀の神を祀っていたが、やがて古代王朝が発生するようになると、天下を治める君主が国家の祭祀を行うようになり、やがて国家そのものを意味するようになった』という意味だ。

 

「社稷」という言葉を右翼はとりわけ重んじている。

 

右翼の理想とする太古の歴史では、中国だけでなくこの日本でも古代の世界では、神官としての天皇と民は常に近いところにあったとされるからだ。

 

その昔…

天皇は常に民の身近にいて、穀物の出来や天候を祈ってくれた。そこに一切の私心はなく純粋に国のため、そしてその国を支える民の一人一人の生活の安寧を祈ったとされる。

 

一方、民は私心を捨ててまで、民自身の生活の安寧を祈ってくれる天皇を慕った。貧しい民のことそんなに考えてくれる人は他にはいなかっただろう。そして災害、凶作、疫病というどうしようもない自然の猛威に震える民を唯一慰めることができたのが天皇の祈りの力だったと思う。

 

実際の歴史はどうあれ、こういう古代像にあこがれて、現代の日本もそうあるべきだと信仰したのが右翼である。

 

そして、たいていの日本人にそういう感情が血にしみこんでいると思うのだが…皆さんはどうかな?少なくとも私はそういうものを信じたいと思っている。

 

特ににそういう感情を強く持って何らかの活動に出る者を「右翼」と人は呼ぶのだと思う。

 

そして右翼から見たらその理想を妨げる権門や財閥は敵だし、敵である以上、排除する。すなわち「天誅」しなくてはならないと考える。故に彼らは傍から見て暴力的に見えるし・・・実際にそういう要素が強いと思う。

 

 

右翼は何を代表して、守ろうとしているのか…

 

 まぁ金持ちがカルトにはまる例があるが。たいていの場合、宗教にはまる人は自身の生活がせっぱつまっている人だと思う。そういう人は何かにすがりたい。そのすがる先が宗教なのだと思う。

 

で、どういう人が切羽詰まっているか…。そりゃ貧困層が多いでしょう。実際、今はもうあまりないけど…川崎や横浜のそーいう街にはいっぱい公明党のビラが貼ってある。まさにそういうことなのだと思う。

 

近年、アフリカ諸国でイスラム教が急激に普及しているとか、中国で政府未公認のキリスト教の教えが広まっているとか、そーいうことをよく耳にするが、その原因はその地域に貧困層が多いからに他ならないし、つまりそれだけ社会不安が広まっているからだと思う。

 

日本の右翼だって本質は同じだと思う。

左翼の思想(これについてもいつか書きたい…)は複雑だけども、右翼の思想は思想というか郷愁、あるいはロマンに近いもの。

 

故にお勉強をして学ぶというか、自ら行動することでその思想に近づくという趣旨でしょう。右翼の間口はもともと広いもの。そういう場を居場所としたい人がある程度集まってくる。右翼に本来外国人であるはずの在日朝鮮人が多いと聞く。それも彼らに貧しくさびしい人が多かった証ではないかと私は思う。

 

先ほど、日本の「体制型保守」は、『何か具体的な利益、地域、そしてそこに連なる人々という存在を「保ち」「守ろう」と、穏健なやり方で政治を変えようと目指すのが「体制派保守」である。』と書いた。

 

 

逆説的に言えば、右翼は「反体制型保守」は経済発展に乗れなかった人、あるいはその経済発展を批判した人たちが大半を占めていると思う。或いは、経済的に貧しくはなかったとしても、貧しい人を思いやる義侠心を持つ人が右翼の中枢を占めていると思う。

 

自分達の境遇が、守られていないのだから「保ち」「守る」という考えはおかしい。それより、神聖な天皇と言う存在には触れずとも、その他すべては理想のために変革しようという考え方をするほうが多いだろうと思う。故に彼らは保守というか、右翼と表現されたほうが適切だと思う。

 

 

右翼的史観では、この国には天皇陛下を除いては本来、特権的階層はないはずである。しかし現実には財閥、官僚といった強者が民をしいたげている。その強者は陛下に日本の実情を知らせず、好き勝手に国を操ろうとしている「君側の奸」だ。許せない。ならばこれを取り除いてやろう。その上で天皇の神聖な直轄政治を行えば日本は良くなるはずだ。

 

こでが右翼の一般的な考え方なのだと思う。天皇の周りの権力者は取り除こうとしても、天皇の権威には絶対に手を出さないというのがポイントである。

 

右翼が何を「保ち」「守ろう」としたのか…

 

それはおそらく、日本の本来あるべき姿を守ろうとした、そしてそれを実現すべく奔走する自分の活動家としてのプライドを「守ろう」としたのであろう。また右翼の中には社会正義を守ろうと、弱者救済に人生をささげた者も居る。そうした人間のとって守るべきものは「社会的弱者」だったのかもなと私は思う。

 

ちなみに日本の右翼活動が史上最も盛んだったのは、1920~30年代である。

上記の右翼的思想を持った軍人の直接行動(226事件)あるいは民間右翼の行動(血盟団事件、神兵隊事件)が頻発した。

 

ちょうどその時代は昭和恐慌真っただ中だ。なので…それだけ切羽詰まっていた貧しい人たちは多かったのだろう。社会、体制に反発した右翼が起こした多数の事件はまとめて昭和維新運動と呼ばれている。

 

実際、226事件の主催者の一人磯部浅一

 

『天皇を政治的中心とせる元老、重臣、貴
族、軍閥、政党、財閥の独裁の独裁国ではありませぬか、
いやいや、よくよく観察すると、この特権階級の独裁政
治は、天皇をさえないがしろにしているのでありますぞ、
天皇をローマ法王にしておりますぞ、ロボットにし奉っ
て彼らが自恣専断を思うままに続けておりますぞ。
 日本国の山々津々の民どもは、この独裁政治の下にあ
えいでいるのでありますぞ。
 陛下 なぜもっと民をごらんになりませぬか、日本国
民の九割は貧苦にしなびて、おこる元気もないのであり
ますぞ。』

 

という言葉を残しているし…。

神奈川の大磯で浅田財閥の創設者を切り殺した民間右翼の朝日平吾

 

『世の華族に訓う!汝等の祖先が我等の祖先を戦死させ我等の祖先の財産を強奪し而して大名となり藩主となりしが故に汝等は華族に列せられしを知るか。即ち汝等の華族たるは畢竟我等の祖先の賜にあらず。即ち汝等祖先の賜ならずとせば。汝は何の顔あり何等の意義あり権利ありて華族たり得るか。』

 

このような言葉を遺書に書き留めている。強烈な反体制、反資本家の姿勢を如実に示すのが右翼の特徴である。

 

ちなみに、戦後は右翼の力が衰えたが、それでも経団連を襲撃した右翼がいたり、開発に取り残された農村の復興に力を注いだ右翼も少なくないことを書いとく。

 

もちろん、右翼の思想は上記のものだけではない。磯部、朝日等の右翼に深い影響を与えた、北一揮は単純な「右翼の郷愁」を超えた実践的で体系的な思想を編み出している(日本改造法案大綱)。ただこの北さん自身は本当に保守であったのか判断するのが難しい。なぜならば、彼は神聖で犯してはならない天皇という存在すら体制変革のために利用しようとしたと後世考えられているからだ。こーいう人は右翼なのか判断が分かれるし…仮に信奉者に熱心な右翼いたからと言って、それをもって右翼と論じられるわけでもなし…。難しいのでこれ以上は取り上げられない。

 

戦後社会で衰えた右翼活動。

戦後の社会では右翼は衰えてしまった。その理由は「体制型保守」(自民党)の政治が上手く言ったおかげで、世の中が豊かになったからだ。格差も少なく、都市部と地方部のインフラの便利さも大差なくなった。豊かで均一化された社会が出来あがった。故に貧しさから右翼活動を行う者は極端に減った。

 

単純な話である。

 

ただ、日本が先進国入りを不動の物とした戦後70年代まで右翼はそれなりに盛んであった。戦後、貧しさが残る時代には右翼にも居場所があったのだ。

ただ、その右翼も体制や資本家を敵に回す事はなかった。彼らは一貫して日本に根ずき始めた社会主義運動と対立した。

具体的に言うと左翼系の労働運動を「襲撃」したり、左翼系の団体の前でいかつい街宣車を連ねて抗議というか、嫌がらせを行った。つまりそれは金を潤滑に持つ「体制派保守」(自民党、財界)の意向を受けていわばその実働部隊として働いたということになる。

 

体制に楯突くよりも、彼らの言うとおりに行動すれば、それ相応の利益を得る事が出来る。故に危ない橋を渡ろうという右翼はほぼいなかった。

 

また、かつて仇敵であった「米国」も民族の敵と言いつつも、体制派保守の貴重な貿易相手なわけで…なので直接抗議出来なかった。勿論そこには彼らが戦前に唱えていた主張と矛盾する所があっただろう。そこで多くの右翼は「赤尾敏」という右翼の大物の真似をすることとした。

国と対立を深めていた戦前から一貫して「親米」を赤尾は唱えていた。けして米国のことを赤尾は好きであったわけではない。ただ、アメリカの手を借りてでも、日本を共産主義から守ろうと思った。故の親米姿勢であったという。

右翼の多くはその赤尾のやり方をまねて、とりあえず共産主義を倒すために我らは米国と手を結んだのだと公言した。故に「右翼は反米」でなくなったのだ。

 

右翼と体制派保守の蜜月な関係は日本の左翼運動が停滞したころに終わりを迎える。

 

左翼思想だって、あれは社会が不安定で貧しいから支持が得られていただけで…社会が均一化して豊かになってしまうと、貧しい人が減った分、大衆の支持を失ってしまう。そしてその左翼と前線で戦う右翼もお払い箱というわけだ。

 

右翼が完全にお払い箱になってしまったのは、1976年の児玉誉士夫逮捕である。児玉は日本の右翼を「反共武等組織」とまとめ上げて、政界や財界の要望に応じて彼らを派遣した「右翼派遣会社のトップ」的な存在だ。ところがそのトップがロッキード事件に関わったとして、逮捕されてしまう。

事件の真意はどうあれ、この悪評で児玉の政治生命は完全に終わってしまう。そしてその児玉に派遣されていた右翼もばらばらになった。

 

一部は、右翼を止めて一般の社会人になったが、さらに過激な行動に出る事でなんとか収益を上げようとほぼ暴力団と変わらない集団に変質した者や特定の新興宗教と結びついた右翼の存在も少なくない。有名どころが統一協会幸福の科学ね。

 

暴力団や新興宗教と結び付いた右翼など、もはや自組織を延命するためになりふり構わず、行動するだけの存在として存在として社会から軽蔑された。そしてその存在は異端となった。

右翼は街宣車を強面に改造したり、特攻服を作成したり、暴走族の人間をリクルートしたりと、社会に対して理解を得る努力をせず、それどころか、左翼だけではない一般の社会組織を脅して自組織を延命させる路線を開き直って歩み始めてしまった。

 

故に彼らの存在は「反社会的」と社会から公然と批判されて、今に至るのである。

 

そうした右翼は「任侠右翼」と呼ばれる。その存在は今も居るが…大衆にまったく支持されず、そもそも政治活動をしているのか怪しい存在と化してしまった原因はここにある。

 

新右翼の誕生と衰退。

体制派保守(自民党、財界)のいいなりになる事に嫌悪感を抱いた右翼も中にはいる。彼らはかつての「昭和維新運動」という原点に立ち返るべく、新たな民族運動を起こそうとした。故に「民族派」とも呼ばれる。1970年代の学生運動の中から生まれたとされる。今までの右翼の経緯とは関係のない学生主体の運動であった事は特筆されてもいいと思う。なお、小説家の三島由紀夫が起こした事件に深い感銘を覚えたのが彼らの行動の出発だったとも言われている。新右翼の学生は生き残りの老いた昭和維新の活動家に師事してその思想を学んだ。

 

そして…新右翼は独自の理論武装を行って、反体制派、反米国を唱えた。反共だけしか行わない右翼とは一線を引いた存在となっていく。また単純な行動主義だけでなく、対立派と論争を繰り広げたり、出版活動を行える程度のインテリを養成したのも彼らの特徴だ。

 

とはいえ…体制派右翼と違いスポンサーがついていない新右翼の活動は低迷していた。そして学生運動が沈静化した1980年代にもなると彼らの存在もいわば、本格的に大きくなる前に小規模化してしまう。

 

一部の主導者たるインテリ派は、テレビの取材等にも応じるなど、過去の存在と化さないように必死に行動した。一水会鈴木邦男、作家の見沢知廉、そして野村秋介などの人材が有名である。

 

また新右翼は反米、反体制という意味で新左翼と考えが近かった。同じ学生運動をしたという経験を共にした仲という認識もあったのだろう。

故に新左翼とは対立しつつもある種の仲間意識を持ったそうだ。実際、鈴木邦夫見沢知廉は北朝鮮に渡ったよど号グループの人間に会いに行ったりしている。今でも反TPP運動などで新左翼と共同して活動をしているのも特徴だ。

 

新右翼と任侠右翼が全く別物と言う訳ではない。相互の人材交流はあったようだし、新右翼側としても、活動費を稼ぐために任侠右翼的行動をとった者もいるであろう。逆に社会のお荷物とかした任侠右翼にも一抹の愛国心はあるのも事実。故にはたから見てどう考えてもこいつは任侠右翼だと思われるの中にも「自分は新右翼」と公言してはばからない物も居る。故にこの辺りの境界線もまた微妙である。

 

えっと…記事を改めてネトウヨは上記の右翼とどこが共通するのか、何処が対立しているのか…そういう事を書いていく。

 

一応…参考文献

当事者の本

見沢知廉「天皇ごっこ」

鈴木邦夫「右翼は言論の敵か」

研究書

浅羽 通明「右翼と左翼 」

中島 岳志「保守のヒント」