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河合つくし通信

取りまとめのないブログです…。一応細く長く続けていく予定。

本の感想⑧ 若杉鳥子「棄てる金」

本作は、プロレタリア文学とよばれる作品群の中の一つです。

この小説群の特徴は「労働者の視点」ではなく、「貧者の持つお金」という視点で書かれたところ。

最初に、本作が手軽に読める青空文庫のリンクを張っておきます。

 

http://www.aozora.gr.jp/cards/000331/files/2613.html

 

 

次に著者の若杉鳥子さんとはどんな人物か…解説したいところですが文章力がないので、ファンページを紹介します。読んでくださいませ。

http://www.ne.jp/asahi/waka/sugi/



若杉鳥子は、世間的にはマイナーな部類の作家だと思います。

何か重たいものをほんのりと感じさせてくれる、そういう作品を書く作家だと私は思っています。そういう作家の本が世間に埋もれている(ように見える)のはもったいない気がしますので…
ここで拙いながらも取り上げさせて頂きます。

主人公の女性が、亡くなった祖母のわずかな遺産を、永代経料としてとある大きなお寺に納めに行く…これが本作のあらすじです。

主人公の祖母は倹約家だったようでせっせと少しずつお金を貯めるような人だったようです。しかし祖母が残したお金はたった百円。これは当時のサラリーマンの平均月収に満たない程度の金額だったようです。

主人公の祖母の残した遺産は、少なかったために親戚はだれも相続しようとはせず、無下に扱われてしまいます。結局祖母の遺産は…親戚たちの話し合いの結果、永代供養料として全額がお寺に治められる。その使者となったのが、主人公です。


主人公は祖母の遺産、百円を持ち、お寺へ行く。作中ではこのように描写されています。

寺は、徳川何代将軍とかの妾によって建立されたものとかで、楼門を入ると、青銅の屋根を頂いた本堂の前には何百年かの年月を思わせるような大きい蘇鉄が、鳶色の夕陽を浴びている。
 彼女は暫く其処に佇んだ。物寂びた森閑とした境内に立っていると、失業だ飢餓だ住宅難だと渦巻いている世の中が段々遠くへ霞んでいってしまいそうな気がした。
 本堂の暗い仏殿の奥には、何やら黒い木像らしいものが安置されてあった。
 そして本堂の次の広間には、造花だの火鉢だの蒲団だのという死者の土産物が並んでいた。その上の長押にはまた広告ビラのように無数の紙片が貼りつけてあった。各壇家が競争的に寄附したものと見えて、万にも千にも近い金額や姓名が記されていた。




立派なお寺に寄付された万や千の金にくらべれば、主人公が持っていた百円ぽっちなど大したお金ではないわけです。しかし主人公はそのお金を寄付しようとします。次に主人公がお寺に百円の供養料を治めるシーンを読んでみましょう。

彼女は玄関に突っ立った儘、手持ち無沙汰に木の香の新しい周囲を見廻していた。その瞬間、ふと先刻の本堂で見た莫大な寄附金が何に使われたかに気附いた。勿論この住宅も電話も檀家の寄附によって新造されたものだろうと思った。
 そして彼女は無意識に、懐中の永代経料に手を宛てた。そこには、あの倹約な祖母が、一日に何遍も数えて溜め遺した、そして今この傲奢な宗教家の生活の中に溶け込もうとする百円があった。
 その時、彼女の背後に、「お帰りいッ」と勢のいい車夫の声がして、一台の俥が梶棒を下ろした。すると先刻から何度呼んでも出て来なかった坊さん達が、ただ一声で三人許り出て来て玄関の敷台に膝を突いた。
 俥から現れたのは、酸漿(ほおずき)のように赤く肥った中年の僧侶だった。法衣こそは纒っているが、金ぶちの眼鏡の下には慾望そのもののような脂肪(あぶら)ぎった贅肉が盛り上がっていた。
 用事は簡単なのだったから彼女はそれが住職だと知ると、早速来意を告げて、懐中から例の紙幣を取り出した。
 新しい五円紙幣二十枚、括った帯封には、親戚の老人の手で、
   一金一百円也
永代経料

    × × 寺 殿
× × 家

 と細字で書かれてあった。
 住職は気味の悪い程柔かい物馴れた態度でその金を受け取った。



主人公は、お金をお寺に収めるときに、その祖母の残した百円が、お寺の瀟洒な生活のために消えることを思います。

 

祖母にとってみたら百円は大金だったのでしょう。しかしこの大きなお寺には始終千だ、万だというお金が供養料の名目で入り込む。そんなお寺から見たら祖母の百円など大した価値のないものなのです。この事実に対し、主人公は下記で書かれたことを考えます

円い大きいスタンプのような寺の判を捺した領収書を貰うと彼女はすぐに其処を出た。不浄物を棄てたような身軽さと、親戚の環視の眼から逃れたような気易さとを感じながら、寺の石段を下りたが、先刻から彼女の眼には、死んだ祖母が背を屈めて、物影へ入っては、チャリン、チャリンと音をさせながら、一日中に屹度(きっと)一度、人に隠れて銭勘定をしている姿が泛んでいた。
 当時彼女はよく、祖母の銭勘定を嗤(わら)ったり罵ったりしたが、今はその姿を想い出すと眼頭へ涙が滲んで来た。
 然し先刻のあの僧侶が、祖母の為に永遠に経を読む等という真ッ赤な嘘を、公然とお互に通してゆく世の中を考えると、彼女は擽(くすぐ)られるような気持ちにもなった。
 寺の石段の上からは、直ぐ下に暮の街が展開された。薄い夕靄の中に電燈の火が鏤(ちりば)められていた。
 彼女は石段を下り切ると、一度寺の方を振り仰いで見た。厳めしい楼門は貧弱な寄進者なんか眼中にも置かないように、そそり立っていた。



祖母は死後も、その百円のために、親戚やお寺に無下に扱われてしまう。やるせない話です。

この作品を読んで、世の中お金がすべてなんだと冷たい口調で言われた気分になりました。

まぁ…。お金の正しい使い方についても考えさせられる一作でした。