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河合つくし通信

取りまとめのないブログです…。一応細く長く続けていく予定。

「普通の人」が戦争をします。

「普通」ってなんだろう。よくわからん。

ただ…明らかに普段から「活動」しているような目立った人…もちろんこの手の人たちは目立っているという意味で普通ではないかなあとか俺は思う。この手の人はよくもわるくも個性が強かったりして(笑)。

 

でもさー。そういう風に目立っている人はいつだって少数だ。

 

先の大戦、あるいは色々な古今東西の戦場。色々な悲劇があった。都市を舞台とした大虐殺があった。ホロコーストがあった、原爆投下があった、民族浄化があった。

 

俺は思うのだが…こういうことをした中に過激な右翼や左翼、宗教家が混じっていたのは事実だ。扇動した人間もいるだろう。

でも実際に手を下さしたのはその辺の「普通の市民」だと思う。この場合の「普通の市民」ってのは政治や社会運動の活動歴がないって意味ね。

 

普通に学校に行き、普通に働いてた人が何か大きな社会的変化を目の当たりにしたとき、理性がくるってしまう。大きな主張に耳を傾け、デマに踊らされてしまう。

 

俺はそういうのが本当に怖いと思う。

「戦争」で実際に残虐なことをするのはなにも「ファシスト政治家」だけじゃない。極右や極左、宗教の原理主義者だけじゃない。突発的なテロならともかく、戦争犯罪や災害時の虐殺行為をするのは、その多くが「普通の市民」だ。

 

話は変わるが…最近、私は神奈川や東京の「投げ込み寺」や関東大震災で「自警団」と名乗る集団に虐殺された朝鮮人犠牲者を追悼する碑を参拝して回っている。

 

我道会関係者の人たちは理解のある優しい方が多いので、俺がそういうことをしているのを公式サイトで紹介することを許してくださっている。

 

こういう事例を見ると思うのだが、過去の凄惨な歴史…これが見事に薄れているなあと思う。

 

そういう歴史が今、語り継がれていない。

本当は地域のそういう歴史は記憶されるべきだ。

でも現状はなかなか、投げ込み寺を訪れる人は少ないという。

 

実は最近、私の地元にもそういうお寺があったことを知った。

大きな図書館の文献をあたって初めて分かったことだ。

 

自称意識が残念ながら高くなったおれですらこれだ。結局、何も知らないんだ。

自分につながる土地、人々…こういうのが過去にどういう存在だったのか、どういういいことを、悪いことをしてきたのか…そういうのが今につながっていない。俺は何も知らない。

 

まずはそこからじゃないかなって思うんだ。

 

派手で扇情的な政治・社会運動もいいだろうよ。

 

でもそれだけじゃだめだ。地域性、社会的な弱者…たとえば家のない人…こういう人たちのために何をするのか、あるいは過去にどういう風に学んでいくのかそれが課題じゃないかなって思う。

 

戦争はもちろん、日本のどの町にもある陰惨な歴史…これに向き合い過去の過ちを繰り返さず、社会的に弱い立場の人たちをああいう目にどういう風に合わせないようにするか考えなきゃいけない。

 

特に意識の高い方々は…そうだな人によって主語が変わるんだけど概ね「市民が」「日本人が」「普通の人が」って感じかな。こういう存在は悪いことをしないと思ってやがるように見える。でもそれは違うんだ。

 

何かあると「異民族がわるい」というバカもいる。これは本当にたちが悪い。これは否定したい。関係ない話だ。

 

そこまでたちは悪くないとしても、特定の政治家や政党が悪いという人もいる。まあ確かに悪いかもしれないんだけどなあ…。でも一番は自分たちだろうと思う。

 

 

結局、自分らすべての人間の心に潜む夜叉が非常時にひどいことをするんだ。

 

B-29に乗って原爆を投下した人間だって、普通のアメリカ人だった。殺人狂じゃなかった。関東大震災で「自警団」を結成した日本人だって、ベトナム戦争の米韓の兵士だって、もともとは家庭を持ち、政治性も少ない普通の人間だったはずだ。

 

過去にしても今にしてもそういうことはごまんとある。繰り返してはいけないと思うけど。

そのためには、悪を他者に投影せず、自らに常に重ねあわせなくてはならないと思う。

 

最近、シェアハウスとかそういうのがある。俺の知り合いの人…この人たちは非常にあ政治性の意味合いにおいて「濃い」人たちだが、この人たちは少なくとも「住居」「集まる居場所」を東池袋で自主運営している偉い人たちだと思う。そこは「りべるたん」っていうんだけどね。いろいろ議論あれど、ある一点に絞ればものすごく立派だ。政治的な人たちが地域になじんだ活動をしているというのは面白いと思う。

 

俺はシェアハウスを運営するまではいかないかもしれない。そもそも政治性なんて用いるつもりも実はない。でも何かしたいと思う。

そして過去の陰惨な歴史を学んで付き合っていくつもりだ。

何かってのが分からないんだけど。これが一番の課題なのだけれど…。

とりあえず、地域で目立っているネトウヨっぽい人を探して地味に話してみるか。そしてその先も考えたいなあ。

まあ要するに「地域性」「街の歴史」という小さなところから考えてこそ、足腰がしっかりするという話かな。

人の「居場所」という視点も大事だよなあとか思うのだ。