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河合つくし通信

取りまとめのないブログです…。一応細く長く続けていく予定。

所信表明…ってほどのことでもないけど。「共同体のススメ」

どうもー。河合つくしこそ「タク」です。タクってのが本名(正確にいえばその一部です)。最近、もうそろそろちゃんと本名を使う方がいいのかなって思ったんでそう書きます。性は仕事で使うから出したくない(聞かれれば答えるけどね)。だからフルネームは勘弁。

さて、自分はこの3月に24歳になりました。23から24歳になってもそんな大した差はないのかもしれない。だけども、23までは20歳に近いけど、24からは20代の中盤って感じがします。周りを見ても24歳位のみんなはもう自分の道を歩いている感じ。自分もしっかりしないとなあ…と思う今日この頃、少し危機感。

 

所信証明めいた記事を書く理由は2つ。一つは24歳になったから…もうひとつはりべるたんの副代表になったからです。

 

俺は人間というのは「個」では存在できないと思う。まあ一般論、一般論ですね。でも実際そうだと思う。鉄のような団結とか、そういう押しつけがましいものはいらないにしても、組織とか、共同みたいなワードは大切だなあと昨今強く感じます。

 自分一人で出来ることには限りがある。でもある程度、仲間と集まることが出来ればその幅は広がるし、モチベーションも上がると思うのです。そういう意味で「りべるたん」の枠組みを自分は愛しています。

 りべるたんというのは政治的な集まりという一面もあります。ただ、それだけではないと思います。詳細を書くのは避けるけど、政治とは関係ない荒くれ者っぽい人、ひきこもりの人、アーティストの人、よくわからない人など様々な人たちが集まる場所です。自分はまだ住んだことはないけど、2階のベットで居住している人もいます。

たくさんの人が訪れたり、居住することからほんとうに色んなことがりべるたんでは起こる。よきにしろ、わるきにしろそこにはドラマがある。そういう感じです。

 

我々が生きている社会って息苦しいって俺は思うのです。なぜならば、この国で生きるためには学校にしろ、会社にしろ…基本的に出会う人が固定される場に所属せざる負えないからです。そしてその固定を拒むと、ひきこもりだのアウトローだのと言われてしまう現状がこの国にはある。

勿論、休日に趣味とかを通して他の人と出会う場に行けばいいって考えはある。しかし平日の日常に忙殺されてなかなか休日に元気が出なかったりと難しい。それに「休日の

世界」とでも言おうか…休日の世界だってある程度固定化されていると思う。勿論、今はネットが普及しているから色々な出会いはある。しかしそれでも、個々人の所得であったり、学歴であったりで「固定化」されてしまう一面はあると思う。あと「ああいう人と会うのは世間体が悪い」みたいな変な価値観。それもまだある。

俺は田舎の親戚のうちに遊びに行った時「あそこの谷の人と遊んではいけない」みたいなことを言われたことがあります。子ども心にはよくわからなかったけど、今ならおおよその意味がつかめる。まあそういう愚劣なのって今の世の中にも多々あるわけです。

 

ただ、りべるたんはそういうモノとは無縁だと思いたい。なぜならばあそこは人の交差点、本当に様々な人々が出入りし、時に住み、そしてこれはまだ手探りの初期段階だけども一緒に仕事をするとか…そういう話にまでなっている。そういう仕組みは本当に面白いし、わくわくするし、自分も貢献したいと思う。そしてあの場所は強者たる誰かに(誰かってのは学校だの偏差値だのリクナビだの…かなあ…)自主性を重んじるという方便のもとで割り振りされた場ではないと思う。

 

自分で行きたいと思った、自分で選んだ場所なんだと思う。だからあの場所を守りたいと思う。それ故に副代表にさせていただいたわけです。そして頑張りたい思いは勿論ある。

 

自分のちっぽけな人生が始まって24年。そして最近になって、こういう初めてのことをしている。それは純粋に楽しい。

大変だけど、普段している介護の仕事にも少しずつ慣れ始めたし、3年前からやっているひきこもり系の団体の活動体の中でもようやく、役割を担ってきたかなって感じ。

 

俺は社会に対して、政治家に対して要求する権利はあると思う。というか、しなくてはならないと思う。ただ、政治に期待するだけでは他力本願なのかもしれないなと思う。結局、自分は…とは言わん。ただ、自分たちは自分たちの場を切り拓かなくてはならないと思う。切り開いて、世の不条理を少しずつ克服しないといけないと思う。これは理屈とか、主義主張以前の問題で我々の「生存」に関わる大きな問題だと思う。そして切り開いた場所が「故郷」だ。故郷を護ろうという思いはとても大事だと思うのです。

 

最近読んだ本に「社稷自治」という言葉がありました。社稷自治というのは昭和維新運動に影響を与えた思想家の権藤成卿の広めた概念で「自治機能をもった公権力に抵抗しえた中世の郷村を理想とする考え」(これは面倒なのでWIKIからのコピペなのだが…) という意味だそうです。俺はもっともな話だと思う。

俺も政治家とか官僚とか資本家とかああいういかにも社会的な強者みたいな人たちにただ従って生きるなんて面白くないじゃないかって思う。それならば自分たちは自分たちである程度物事を決めて、運営して、生きていく…。そして強者とか公権力みたいなそういう存在の干渉を出来るだけ弱めたい。権藤さんが提唱したような社会の方が好きだ。そして俺も皆もそういう風に生きていいんじゃないかって思う。

そういえばこの間「昭和残侠伝」という映画を見た。この中で金持ちの新興組織が、貧しくとも昔からの自治組織を潰そうと策動し、その自治組織側の助っ人として高倉健演じる主人公が活躍するシーンがあるけど、ああいうのもいいなあって思います。アレを見て宮崎学の「突破者」で表現された「古き良き共同体」ってのがどういうものか少しイメージできた気がします。

結局、ひきこもりだのアウトローだの無職だの低学歴だの過激派だのそりゃあ色々な罵詈が社会にあふれているわけだけど、そんなの見方次第だと思う。

旧弊のそれこそ強いモノやそれに従う価値観からしてみたら、そう見えるんだろうが、「俺たちは俺たちの社会を主体的に作っていくんだ」と思えば、そんなレッテルは関係ないだろう。大事なのはレッテルや過去じゃなくて、自分たちの共同体にその人がどう貢献できるか、どういう過程で仲間になっていくか・・・それだけだと思うのです。

 

まとめになるけど…。

「りべるたん」や自分が今関わったり、試みていること一切はそういう枠組みをこの冷たい日本社会の中で再構築していく一つのあり方に繋がることなんだと信じたい。今はまだ準備段階の青臭い人間だけど、それでもそこに自分はコミットしていきたい。そしてその「共同体」の一員として末永く生きていきたい。自分は信じる仲間と夢を見て、夢をかなえたい。そう考えてます。ではでは