河合つくし通信

取りまとめのないブログです…。一応細く長く続けていく予定。

題「英霊に感謝するとはどういうことなのか」815を目前として…。

題「英霊に感謝するとはどういうことなのか」

横須賀のヴェル二ー公園には、旧海軍の艦船の慰霊碑がいくつかある。慰霊碑の裏には戦没者の名前が刻まれている。

俺は、遺族と思われる人が戦後幾年と経った今も慰霊碑の裏に刻まれた個人名を愛おしそうに見つめる姿を数度、見かけている。

なかなか、その姿には戦後生まれの俺でさえ、感慨深いものがある。

俺はいわゆる「極左」ではないので…「英霊へ感謝の気持ちを持つことが悪だ」とか「靖国やそれにまつわる慰霊碑を解体せよ」なんて言うつもりはさらさらない。

ただな、と。「英霊に感謝するとはどういうことなのか」…と改めて考えてしまう。

乱暴な言い方だけども…戦没した方へは感謝の念を送りさえすればいい、しかし…あの大東亜戦争を生き延びた方に対してこの国はどういう態度をとったのかと…疑問に思う。

水木しげるの漫画には、水木さんの実体験として、物乞いをする傷痍軍人が登場する。

この横須賀の街にもだ、ウチの親は、中学に上がるくらいまでには白い服を着て、体の一部が欠損している人(恐らく傷痍軍人)が街中で物乞いをしている姿を見ていたそうだ(恐らく1970年代まで)。

「感謝」って…言葉にするのは案外、簡単だが…戦後の日本の中で、戦争に行って生還した人(英霊になりそこなった人)に対して、この国は総体として「感謝」したのかと。

俺は十分には、出来てなかったと思う。だから…戦場に行って体を欠損して(腕落とした、足落としたような…)人が戦後長いこと、路上で物乞いをしていたのだ…と。

俺は今、介護の仕事をしてもうすぐ一年を迎えようとしているが…。あまり利用者のことを書くのは憚られるから…僅かしかかけないけど…やはり90すぎの男性の利用者には大東亜戦争に従軍して(ミッドウェーの海戦に参加したとか)、戦後は自衛隊に奉職した…なんていう人がまだいるわけだ。

もう、最後の世代だろうけど。

俺はそういう人たちの介護をしているわけだけど…もう年も年だし、体も動かない、お風呂にも入りずらい、食指も悪い…そういう人の介護って本当に大変だと思う。

乱暴な言い方だけど「英霊に感謝」していると公言する人が、じゃあ…なんだ、無償であの戦争の従軍者の介護を今できんのかと…そのくらいの問いかけをしたい位だ。

俺は無償でなんてとても出来ない。俺は今、職として、お金をもらっているから…出来ているわけだ。

だから、そのことでどうこう言う資格は俺にもない。

たださ、今年の夏も靖国の前ではバカが狂騒して、自分こそが真の愛国者だと…そういう振る舞いをするのだろうし、保守系の政治家はこの国が戦後長いこと、傷痍軍人にどういう扱いをしたかなんて、端から忘れて「英霊への感謝は素晴らしいこと」だと…あっけらかんと言うのだろう。

なんだろう。罪悪感がないんだな。後ろめたさというか…結局、そういう自覚が全くないんだ。だから周りに見せびらかすような(威圧するような)態度をとって「感謝」していると…そういうことが言えるんだ。

その姿を見るとき「愛国」は軽いな思う。

俺は確か3年前、靖国の参道で韓国人の女性がいかにもな強面の男性集団に絡まれているのを見た。

その韓国人の女性がカメラを回していたことに対して、「いかにもな男性集団」がだ、「韓国人は出ていけ」だの「大和男児をなめるな」とかそう凄んでいたんだ。

全く情けない話だ。
俺は差別がどうとか、そういう話をしたいんじゃないんだ。それ以前の問題だ。

たださ、ただただ情けないなと…。

その光景を見つつ、強面にビビって何もできなかった俺が一番情けないことは論をまたないけど、通りすがりの人らがその光景を見て、喝采を上げていたのも…情けない。そしてだ、強面男も情けない。

その情けなさ…。3年たってもソレを忘れることが出来ず、また思い出してしまう。

話をまとめるけど…。

結局、815の毎度の狂騒は何なんだと。ああいう日にああいうことを、あの場所でやって、一等騒いだバカが「愛国者」と喝采をギャラリーから浴びる構図は絶対に間違っている。

そしてそういう連中は、本当は英霊なんてどうでもいいんだろう。彼らは「感謝」したいのではなくて、自分が「感謝していることを見せびらかしたい」ことなのだろう…とそう感じてしまった。

俺は今年、815に靖国には行かない。靖国や上大岡の県の慰霊堂には別の日にこっそりと参拝するだろう。

815の靖国での狂騒の光景こそ、亡国への入り口であり、226事件の主謀者である磯部浅一が遺書に残した「穢土日本」の象徴なんだと。俺はそう思っている。