河合つくし通信

取りまとめのないブログです…。一応細く長く続けていく予定。

地域コミュニティと政治と「瞬間最大風速」について

りべるたんとゆー集まりに俺は(たまに)いる。

りべって何かってのは難しくて、考えようによっては「ドキュメンタリー・極左にひきつけられる若者」みたいなまぁ「そーゆー場」なんですけど、「それだけではないシェアスペースでもある」わけだ。

そこで飲んだり騒いだり、まぁ思い出が出来るんだな。俺はもう2年関わってるし、来年のどこかで住もうとしているわけだが(本当に)。

政治主張で繋がる仲間にロクなモノはないってのが最近の俺の主張なわけです。平たく言えば「同志ほど胡散臭いものはない」って。

結局、政治の目標を叶える為のそーゆー集まりになると、功利性…みたいのが出来ちゃうわけだ。

しかもその功利性ってのが在日出てけとか、安倍しねとか(前者の方が悪質なのは無論だが…)悪口でまとまるのな。

俺はさ、ああいう連中はうわべでは仲良くしても…まあ続かネーなって思う。

たださ、まぁよきもわるきも「思い出」を共有する間柄は強いと思う。

それは「我々は同志だ、仲間だ」っていうそーゆー「俺たちって仲間だよね?」の承認がいらないからな。

結局、主義主張より、情とか「あの時こうだったよネ」で通じる関係性が大事なんだと思うわけ。

右翼の人とかもさ、右翼だからじゃなく、土木の仲間だからと繋がっているとゆー話を聞いた。

或いは左翼の仲間もさ、障害者介助の事業所のつながりがあるんだと聞いてる。

そういうのがいいね、それは続くと思う。主義だけじゃなく、「生活の場の共有」だもんな。

路上デモのつながりだのSNSの繋がり…その人脈なんかよりは全然ましだと思う。

りべにしろ、他にしろ…今の政治運動で目指すのは「そこ」だと思うんだな。

個人じゃ、何においても勝てないんですね。「個人」じゃ勝てないっていうその基本認識を持たないと。

勝てるのは「思い出の共有」、そしてその思い出を理不尽に強者に崩される瞬間…なんだと思う。

後は無理だ。三宅洋平や鳥越での選挙での「熱狂」も、国会前に何人集まっても。

比べちゃいけないけど…ネトウヨの九段下の愛国ごっこも同類。

そんな「瞬間最大風速」では。何も変えられやしないんだ。

故郷を持て、ここで生きていくとゆー場所を持つ。

俺はりべはそーゆー場であってほしいと思うし。そーゆー場を欲しい人は東池袋に行けばいいんだ。俺も来年行くし。

実はさ、地元の幼なじみと久しぶりに会って…その思いをいよいよ強くした。

安心するもん。昔のあの人どうなった、あの場所どうだったって話が。

主義じゃこの「安心」はない。
主義に逃げこんじゃだめだなと言う思いを感じた。