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河合つくし通信

取りまとめのないブログです…。一応細く長く続けていく予定。

重松清の「エイジ」という作品を中学生のころ読んだ。「相手とのつながり」について。

重松清の「エイジ」という作品を中学生のころ読んだ。
そもそもあの小説が中学のいじめを扱った作品だし。

あの作品にこういう一節がある…

『ぼくはいつも思う。
「キレる」っていう言葉、オトナが考えている意味は違うんじゃないか。
我慢とか辛抱とか感情を抑えるとか、そういうものがプツンとキレるんじゃない。
自分と相手とのつながりがわずらわしくなって断ち切ってしまうことが、
「キレる」なんじゃないか。
 体じゅうあちこちをチューブでつながれた重病人みたいなものだ。
チューブをはずせばヤバいのはわかっているけど、うっとうしくてたまらない。
細くてどうでもいいチューブなら、あっさり――
オトナが「なんで?」と驚くほどかんたんにはずせる。
でも、太いチューブは、暴れても暴れてもはずれない。逆に体にからみついてくる。
キレたい。
 あとで結びなおしてもいいから、いまは、ぼくにつながれたものぜんぶ切ってしまいたい。』

昔は読んでわからなかったけど、今はわからなくないなあーと。

「自分と相手とのつながり」は確かに大事だ。

絆とか、コミューンとか、連帯とか、愛郷心とか、約束とか、友情とか…まぁ色々あるじゃん。

でもたまにそーゆーのがうざったく感じる。

でもそーゆーうざったいもので繋がれているから「今の自分」があるのだとも思う。

そのチューブを切りたいと思うのが、破壊願望だとするのならそれは俺にもあるなと。

ただ、切りたくない思いもある。切りたくない部分もある…ってのが正しいのかなあ。

当たり前だけど、人生に「好き嫌い」は出来ない。

好き嫌いをしたいと思う自分はどうもガキっぽいのかも。

しかし自分も段々やり直しが利かなくなるお年頃。

同級生は結婚したり、車を買ったり…そーいう年になってくる。それは否応なく自分も。

勿論、そんな他人の事なんざ知ったこともねえって言い切ることもできるのだろう。

でも。気にしちゃうんだな。その当たりの弱さってのが「根本」にあるのかもなあ。

いつまでだっても大人にもガキにもなれない。いつまでたってもちゅーとはんぱな焦りが…が…。