河合つくし通信

取りまとめのないブログです…。一応細く長く続けていく予定。

社会を覆う「不寛容さ」と「本音」

今、「不寛容さ」が社会を被っている。
それは社会の多様性を否定している。

具体的には
「あいつらはズルをしている」
「今まで叩かれなかったあいつらを批判するのが『真の民主主義だ―』」

という声、書き込みが無数にあることを見れば明らかだ。

①日本における在特会の活動
②「障害者は社会のために殺した方が良い」とする植松の事件
③アメリカのトランプ支持者(移民排斥や銃社会の肯定)
④フィリピンの今の政権(犯罪者は法で裁く前に殺してよい)

まぁ…全て何か共通点があるんだろうなと思う。

ただ、敢えて言うならば少し、なんだ…「不寛容」を支持する人の気持ちもわかる。

先に書いとくけど…。

俺はさ、過去の日本の歴史上、従軍慰安婦という存在があったことは事実だと思うし、それが悲惨さを帯びていたことは認識している。
そして、沖縄の基地や三里塚は国家という巨大な組織が、一方的な組織の論理でそこに住む人々を不条理に追い出したりしていると思っている。

ただ…。
①例えば仕事で夜なかに帰ってきて、また数時間寝たら職場に向かわないと生活できない人(ブラック企業に勤める人)。
②親族の介護で忙しすぎて、休日もどこにも遊びに行けない人、それどころが自身の睡眠すら確保しにくい人。

そういう人がさ、まぁその貴重な休み時間に鬱憤晴らしにネットに

何だかんだいってもあいつらは『まとまったカネ』を『補償』の名目で得れるじゃないか、それに比べて俺は一生こういう生活をするしかないんだ

みたいな「そーいうこと」を書いちゃう気持ちも分からなくはない。

そしてそーいう人の「そーいうこと」を「社会の本音」と解釈して、大々的にそれらのことを言う政治家が一定の支持を集める現象が起こる理屈もわからないくないのだ。

 

俺は「不寛容さを支持する人」に対して、ネトウヨだとか、ファシストとか、衆愚政治とか、右傾化とか…そういう言葉をぶつけるのは意味がないとも思う。

これは「不寛容さを支持する人」をただ、攻撃すれば解決するとは思えない。

ただね、だからと言って…俺はやはり「不寛容」なこと、「不条理に目をつむる」ことは言っちゃあだめだと思う。

だから俺は「あっち側」には堕ちないのだ。

 

月並みな言い方だけど…

この社会が心の問題としては勿論、経済的にもっと豊かにならない限り、「不寛容さ」がこの社会から消えることはない。心の問題や啓蒙、現場での活動だけじゃとても追いつかない。

 

物理的なモノ…例えば所得の改善とか労働時間の短縮とかそーいうことがなされない限り、社会はますます暗くなっていく。段々色を失い、嫌な社会になって行っているなと思う。

日本社会は勿論、国際情勢的にもね。

 

「不寛容」なんか言い方違う気もするけどね、これ以上にピンとくる言葉がなかったんでとりあえずこれで書いてみた。