河合つくし通信

取りまとめのないブログです…。一応細く長く続けていく予定。

尾崎翠と北朝鮮のロック少女と共感と全体主義について

尾崎翠とゆー作家がいる。
大正時代から昭和初期に活躍した作家だ。
幻想文学…割と少女漫画っぽい感じの話を書く人。

色々ごちゃごちゃ書こうと思ったが眠いので…松岡正剛の記事を一部引用する。

「けれども、その後の世代には、とくに少女マンガを少しでも読んでいる世代なら、小野町子が赤い縮れっ毛の少女で、長兄の一助が精神分析医、次兄が家の中で肥料研究に余念のない二助、従兄の三五郎が音楽受験生という設定を聞いただけで、ハハン、これこそはあの少女マンガ特有の疼くような感覚世界の原型であるのだということが、すぐにピンとくるはずなのだ。

 尾崎翠の文学は、まさに第七官界を求めてさまよっている。それを彼女の好きな言葉でいえば「哀愁」の直前の音信に耳を傾けるということなのである。または「二つ以上の感覚がかさなつてよびおこす哀感」への投企なのである。」

まぁこんな感じ。

いいなって思うのがさ、あの尾崎がいた時代(尾崎豊じゃないよ)ってのは戦争があったり、昭和恐慌があったり、昭和維新運動や赤色ギャング事件やなんやらで物騒で人がたくさん死んだ時代。

暗い時代だったと思う。

あの時代について、極端な左派は「人民は天皇ファシズムのロボットだった」と侮辱して書き、極端な右派は「朝、奉安殿に子どもたちは頭を下げて冷たい水で顔を洗い…」みたいな変に理想化するのな。こういう言説が全体主義ってやつだよ。

 

当時の日本もさ、「日本開闢以来のなんとかかんとかー」とか、「今ゾ救国の時!」…とか…とにかくなんかでけえーこと言って社会を扇動する輩があふれていたと思う。

でもさ、違うんだよな。

それは尾崎翠の作品を読めばわかる。

辛い時代、戦争や大不景気の時代にもな、「赤い縮れっ毛に悩むの女の子」を描いた小説があったんだなって。

色々な人たちの色々な生活があって、悩みがあって、生活の中のおかしみもちょっとあって…そういうのを書いてくれた人。それが尾崎翠だと思う。

尾崎の小説はとにかく優しい。そして繊細で静かに人の心を描く。

そういう作家があの時代にもいてくれたんだなって。俺はそう思う。

だからさ、尾崎を読むとさ、一概にあの時代を極端な連中のようにあの時代をどうこう塗りつぶす言説には賛同できなくなる。

ちゃんと小説を読んで、ちゃんとあの時代に思いを馳せれば…変に極端になって、無茶苦茶なことを言わなくなるぜ。
おれはそーおもうんだけどな。

どうもさ、ここで俺、偉そうなこと書くけど…(笑)
「教養がない奴は嫌いだ。」

教養が余りに欠如してるから、極端な言説を頼って、極端な仲間と極端なことをやるんだろう。

なにも「あの時代」のことを言うわけでもないさ。

最近、ファンキー末吉さんが2012年11月、自らの体験をまとめた著書「平壌6月9日高等中学校・軽音楽部」(集英社インターナショナル)ってのを読んだんだけど。

アレを読むと、北朝鮮にもロックが好きな女の子がいるんだなーって思う。

「音楽が好き」ってその点においては、俺もあの子も同じだろう。

そう思うと心が少し暖かくなるし、北朝鮮だか、戦前の日本だか知らないけど…変に自分と異なる存在と「異物化」しないだろう。

音楽や小説は国も時間も超える。そういう魅力があるから文化ってのは大事なんだ。

教養のない、教養のなさを隠そうともしないバカにはわからんだろうがな。…と怒ってみる(笑)

 

424夜『尾崎翠全集』尾崎翠|松岡正剛の千夜千冊