河合つくし通信

取りまとめのないブログです…。一応細く長く続けていく予定。

「基地の街で生きると言うこと。明と暗。限りなく透明に近いブルー」

「基地の街で生きると言うこと。明と暗。限りなく透明に近いブルー

 

 

もうほぼないけどね…20年くらい前までは横須賀にも繁華街(とゆーか「色街」だな)がまだ残っていた。

もっぱら自衛隊員と米軍人を相手にする色街。セックスと薬と暴力と快楽と汗臭い悲劇の街。

基地の街のいわば「繁華街」には軍人だけじゃなくて、横須賀の男どもだってそこで遊んでいたわけだし、薬だ、かけ事だ、女だってのもそーゆーとこで覚えていたと思う。

自分たちは「占領軍」である米軍のおこぼれにあずかって遊んでいるみたいな…そーゆー意識は少しはあったんだろう。

でもそれ以上に「外」と繋がる港町ってのはさ、妖しさと刺激とそーゆーのがあったわけで、だから自虐しつつもそこで生活して楽しんで、生きてたわけだ。

と…俺はこの街の大人たちに聞いたぜ。若いころはそうだって。

俺もさ、こんな話を最近聞いた。

数少ない地元の友人とこの間、飲んだ。中学時代の子の金教団を色々と話す。

その中でさ、言わば軽い感じの子がさ「どぶ板で米軍人をとっかえひっかえして遊んでいるらしいぜ」ってゆー話が仲間内で出た。

なんだろうな、その時に出た俺らの感情ってのは…もともと俺らはヲタグループのヒガミ野郎の集まりだから、何とも言えないんだけど、ぶっちゃけ半分は侮蔑だけど、半分は「まるで映画だ」みたいなそういう感情があったんじゃないかな。

「まるで映画だ」だってってのは「自虐ネタ」に近いのかも。この街らしい話だって。今時(多分)珍しいけどさ。

 

横須賀と似た街に佐世保がある。佐世保も軍港の街だ。

佐世保出身の村上龍は高校時代、米軍空母寄港反対闘争に参加したり…なんだろう…けして「米軍万歳!」の人じゃなかったと思う。

でも、村上龍は高校卒業後に東京の郊外の福生という、これも基地の街に住みついて…多分、基地から漏れる薬をやって、女と享楽的に遊んで…そーゆー実話を膨らませて「限りなく透明に近いブルー」という処女作を書きあげた。

あの小説で、主人公は黒人の米軍人に女装させられて「リュウ、お前は黄色い人形だ」とと言われつつ、薬をやって、乱交パーティに参加する。

自虐的に快楽におぼれる主人公ってのがそこにいる。

 

 

自虐的で頽廃的で、でも…そうやって生きてたわけで、それはいいことじゃないけど…人として持っているだろう「だらしなさ」みたいなのが分かりやすく、虫めがねで拡大されたような…そういう群像劇が「限りなく透明に近いブルー」と言う作品なのかなと思う。

「だらしない浪花節」だって、人の生き様だし、生活だし…この街の歴史と文化って思う。

アレは極端な例だけど…
でも大なり小なり、そうやって、基地の街の人間は生きてたわけで…上手く言えないけど、単純な正義と悪の問題じゃあないのだ。

よそから来た人はイデオロギー放射能の問題を持ち出して、基地を批判する。それはそれで、もっともなことなんだ。

でもさ、イデオロギー放射能(ベクレル)の問題だけじゃない、身近な異文化として、隣人として、大なり小なり米軍と生活してるわけでさ、そこには基地の街の住人としての自虐混じりの誇りと言うか「この街らしい」って感情があったと思うんだけどな。

だから、街の外から活動家が来てさ、デモやって、街宣やっても…横須賀の街の人が一体どれだけ、あのデモに参加してるんだろうって。俺は疑問だね。

勿論、横須賀はベットタウンでもあるから、東京ぽい考え方を持つ住民も多い。一概には言えないけど。

でもなあ…ちょっと考えちゃうよなって思う。

そういうこと考えたときに俺は親米なのか、反米なのか、媚米なのかって考える。

生活として、基地があって…俺なんてネクラだからどぶ板の繁華街で遊んだりしないんだけど、でもな…それでも近所に米軍借り上げの借家とかが点々とあって、日常的にうるせー米軍人の車(無駄にスピーカーでラップっぽいのかけてる)を聞いてるわけで、だから「基地」は意識している。

まぁなんつーか、政治とやらに目覚めると…この街は住みづらい。だからそのうち、来年中には引っ越さないとって思う(って結論w