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河合つくし通信

取りまとめのないブログです…。一応細く長く続けていく予定。

経歴詐称してもいいじゃねーか。

今と昔の一番の違いは「自分が自分でありすぎること」だと思う。

昔なんざ戸籍制度はいい加減だったし、役人もわいろ受け取ってた。監視カメラもマイナンバー制度もGPS職務経歴書も国籍もなかったか、いい加減だった。

だから一昔前ならば、違う街に行って名前も経歴も偽って生きていくことが出来た。

技術も未発達だったから、別の街に行って新しい自分として人生をやり直すことが出来た。

例えば、秩父事件の井上伝蔵は、北海道の北見に逃亡してその地で家族を作って65歳まで生きた。

吉村昭の小説「逃亡」のモデルとなった賀沢昇は、少年兵時代に兵舎から逃亡して、北海道のタコ部屋に潜入して永らえ,終戦後GHQに保護され、その後は市役所で定年まで勤めたと言う。

この手の話はいくらでもあった。

犯罪者から見ればこういうのは「逃げ得」であり、確かによくない面もあるけど…。

でも、新天地で腕一本あればやり直しが利く事実は、それを上回る「益」があったと思う。

今は違う。
今は生きていく中でいやおうなく、個人が特定される。

だから今の人は自分も含めて、今生きる場所にしがみつかないといけない。やり直しがきかない。…という固定観念に縛られている。

その結果、会社に見捨てられたくないから、死ぬまで働いて、過労で死んでしまう人がいる。

学校を中退したくないから(コースアウトとも)校内の虐めに耐えて、耐えた挙句…自殺しちゃう子がいる。

ひきこもりの人も家にしがみついた揚句、両親を殺したり(殺されたり)しちまうんだと思う。

本当は、個人が個人として明確になりすぎるのってよくない。

人間なんざ所詮、犬畜生と同じ動物じゃねーか。犬や鳥や虫けらは何処へでも行くじゃねーか。どうして人間だけはまるで植物のように根を張らなくては生きていけないのだろう。

今の時代は、個人がより個人として特定されるべく…マイナンバーやら、パスポートやら、生体認証やら…なんかそんな技術ばかり発展する。

物凄く息苦しい社会だ。我々の社会は知らず知らずのうちに自分の首を絞めているんじゃないかと思う。社会の自殺、人間の種としての自殺…そういうことをしているのではないかとすら思う。

嫌だいやだ…。
俺はもっと自由に行きたいものだ。その為にどうすればいいのか、常に考えている。

とりあえずはフリーなスペースをこの社会にどんどん作りたいものだ。小さなことだけど、来年は実家依存を卒業するぞ。