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河合つくし通信

取りまとめのないブログです…。一応細く長く続けていく予定。

河合つくしの天皇論

被災地の避難所で、陛下が被災者の老人の手を握っておられて、被災者が涙を流している…そんな写真をこの間見た。

俺はああいうことって良いことだなってしみじみ思う。

あの光景ってどういう意味合いを持つのかってずっと考えている。
ちょっと考えたことを書く。

もともと「天皇」という存在とは、近代以前の武士政権とは違ったベクトルで存在する権威(権威あれど、権力なし)であった。

中世の日本においては…例えば、武士や農民と違って土地に固定されていないで生活していた人々(漂泊民、職人、狩人、芸能民、拝み屋…)が生きていく際に頼る「権威」であったわけだ。

これは網野善彦堀田善衛が言及している。

特に堀田善衛は「定家明月記私抄」のなかで「元来天皇家というものが、これらの遊女、白拍子、舞人、猿楽、さらには武芸を事とする武人などの芸能民とともに、各種の職人、広い意味での宗教人など、いわば非農業民、それを別の言葉で言いかえるとして、『遊手浮食』の徒、『無縁の輩』などの『道々の輩』、すなわちこれら路上の遍歴民を統轄し保障をする存在であったことを確認しておきたい」と述べている。

そして…この二人の影響を強く受けた映画監督に宮崎駿がいる。

宮崎アニメの代表格である「もののけ姫」には、たたら場の工業民、狩猟民、唐傘連と名乗る傭兵集団が「てんちょう様の書きつけ」を大義名分として、シシ神を狩るシーンがある。

さて…。
端的に言うと俺は日本の歴史の中で最大の失敗は古来より権力の中枢から少し外れた場所に位置していた天皇家が、明治維新以後に「欧米型の皇帝」として祭り上げられてしまったことだと思う。

天皇家に軍服を着せて、国家の「機関」としての役割を負わせてしまったがために…色々な諸問題が起こってしまった。

本来、天皇は「国家的な権力」ではなく、寄る辺のない人が寄り添う権威だった。

今もそういう要素は残っている。
これが被災地の避難所における先程の光景につながるのだと思う。

俺はもう、日本国は天皇家を「国家の機関という役目」から解放すべきだと思う。

憲法で規定された「国民統合の象徴」ではなく、あくまで不文律の権威として尊重すべきだと思う。象徴天皇制憲法第一条は破棄。

そもそも国民なんて価値観がバラバラで当たり前で、天皇家を尊重する人もいれば…嫌いな人もいるのは当たり前で、嫌いな人に拝ませるのは可笑しい。

一人の人間を「国家の機関」として扱うのはこれはもう、暴力だと思う。終わりにすべきだ。

ただ、それでもなお…昔からの「寄るべないものの権威」としての天皇家を尊重したい多くの人たちの気持ちもある。

だから、そういう人たちで天皇家に「これからも宜しくお願いします」と伏して願うほかない。

そして、天皇家を尊重する人のなかでお金を出し合って、京都にお戻りいただいて、一切の国家権威的な公務から解放して差し上げて…ただひとえに神事と臣民との交流に専念して頂ければいいと思う。

俺はそう思うけどね。