河合つくし通信

取りまとめのないブログです…。一応細く長く続けていく予定。

何でもかんでも「近代」を押し付けていいのか…そこに多少でも「逡巡」を感じてしまうのが、俺の右翼たらんと言う部分なんだろう

太平洋のポリネシア地域にはピトケアンという島がある。人口50人にも満たない小さなイギリスの海外領土だ。

この島では12歳以上ならば大人であり、結婚とセックスをしてもいいという「風習」があった。

だから多くの住民は12歳で結婚していたそうだ。

もっともこの島はイギリスの領土である。そしてイギリスの近代法に照らし合わせれば12歳の女の子とセックスするのは「犯罪」。

だからこの島に住む大多数の成人男性は「犯罪者」だとして、その是非を争う事件が98年ごろあったそうだ。

俺も近代人だから、12歳で云々…ってのは「犯罪」だと思う。

一方で近代の論理を小さな離島にまで振りかざして、一方的に「犯罪」と決めつけるのもどうかと思う。

特にこの事件では島の女性たちも「犯罪者」とされた男性を擁護したそうだ。
この島では「それが普通だから」と。

この手の話は何もピトケアンだけではない。

中国共産党チベットに進駐して「チベットの封建制」を廃したこと、日本が朝鮮を領有して、朝鮮の封建制を破壊したこと…これらもピトケアンと似ている。

確かに近代人の視点から見たら、チベットも朝鮮もピトケアンも「封建制を続けている方が野蛮で悪」なんだろう。

でも、その土地にはその土地のやり方もあると思う。それを尊重せず近代の論理で断ずることは本当に「正義」なのか。

正義と言い切っていいのか…と言われると迷う。

そして封建制の文化が失われたから、チベット仏教が衰退したとも言えよう。

俺は「近代の論理」が古い文化を残す地域を浸食(啓蒙とも)することが絶対的な正義と言い切れないと思う。

勿論、俺だって近代人としての感覚は有しているので…近代的な価値観の方が「個人の人権」を守ることくらいはわかる。

でも、何でもかんでも「近代」を押し付けていいのか…そこに多少でも「逡巡」を感じてしまうのが、俺の右翼たらんと言う部分なんだろうな。良くも悪くも