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河合つくし通信

取りまとめのないブログです…。一応細く長く続けていく予定。

世界の果ての天皇

ロマが持っていた「皇帝ジギスムントの特許状」と日本の木地師が持っていた「朱雀天皇の綸旨」は似ている。

両者とも移動生活をするマイノリティが「高貴なる存在からの保護」を背景に各地を放浪していた歴史は興味深い。

堀田善衛の『定家明月記私抄』には…

「元来天皇家というものが、これらの遊女、白拍子、舞人、猿楽、さらには武芸を事とする武人などの芸能民とともに、各種の職人、広い意味での宗教人など、いわば非農業民、それを別の言葉で言いかえるとして、『遊手浮食』の徒、『無縁の輩』などの『道々の輩』、すなわちこれら路上の遍歴民を統轄し保障をする存在であったことを確認しておきたい」

…と書いているけど。天皇家を始めとした「高貴なる」存在の意味と言うのは社会的な弱者(放浪の民)の保護。
この一点に尽きると思う。

なので…。
教育勅語国家神道に代表される「ピラミッドの頂点としての天皇像」「ナショナリズムの権化としての天皇像」には、強い違和感を俺は持っている。

自民党改憲を成し遂げた結果、現状の象徴天皇制からさらに進んで「旧憲法的なナショナリズムの権化としての天皇」が仮に復活するようなことになれば、俺は皇家は歴史的使命を終えたと考えて、天皇制廃止論に傾く。

あるいは皇家の末裔の誰かを探し出して、それを推戴して後南朝のように世界の辺境で細々と生きていくか…。
そーゆーSF的な生き方をしたいと思うが…まぁ難しいだろうな。

最近、手塚治虫の遺作「グリンゴ」を読んだ。

この作品には外界から孤立した南米辺境のジャングルに村を造って、自分たちの信じる「古き良き日本の生活」を守ろうとする日系人が描かれている。

ああいう孤立した村で一心に自分達の都合のいいことを信じて、世界の一切から背を向ける隠者みたいな生活はいいなあと変な憧れを持ってしまった。今日もとくに脈絡のない文章…。