河合つくし通信

取りまとめのないブログです…。一応細く長く続けていく予定。

「まあまあマシな社会を守る為に、あまりえげつないことを許さないぞ!」ってやつで

自由とは何ぞや。
例えば、強いモノ…お金持ちとか軍事力とか、血筋とか…まぁそういうモノを持っている人がやりたい放題やるの「も」「自由」なのだろう。
けしてそれだけじゃないにしても「自由」って言葉は案外、弱いモノには不自由に響く事が多い。

昔で言う「コンゴ自由国」のような響きがある。
なかなか、制限なく自由競争させると強いモノが強くなる一方だ。
こういうのはよくない。そして、時にはそういうのに反対する人たちが現れる。

都会や工業化、国家制度に縛られず…地方に帰ろう、田舎で畑を耕して素朴に暮らそうと言う運動がある。
それ自体は悪いことではない。エコロジーって基本的にいいことだと思う。
ただ「それだけが正しい」わけでもないと思う。
そこんとこを履き違えると…。

「土と血」そして「民族共同体」の幻想を掲げたナチスのようになる。日本なら農本主義ヤマギシズムカンボジアなら「個の滅却による原始共産主義」…のような方向になる。
それが全て間違えとは思わない。
その答えに行きついて、実践する人はある意味において正しいと思う。偉大だと思う。
でも、その純朴さ、正しさが歴史を見ていると必ずしも人を幸せにしただけではないことに気付く。
その「正しさ」が戦争や差別を招いた例はいくらでもある。

一体「共同体の正義」って何だろうと思う。
「強いモノの独走」…よりは「共同体の秩序」の方が俺は好ましいと思う。少なからず、自分自身「幻想」に憧れている要素は多々ある。
ワードとしては…右翼、郷愁、社稷アナキズム、コーポラティズム、エコロジー、地産池消…と思う。
ただ、あんまり…正しさばかりを追い求めると社会と言うか…普通の人たちから隔離するし、隔離して一人で考える、あるいは少数の人とばかり付き合うと…カルト化しちゃうと思う。
逆張りナチスを評価するとかもダサいなあと思う。

だからまぁ「正しさ」よりも誰かも書いている「まあまあマシな社会を守る為に、あまりえげつないことを許さないぞ!」って辺りがいいと思う。

「絶対的な正しさ」を追い求めるより、「まぁマシでしょ」っていう感覚を大事にしたい。中庸くらいでちょうどいい。共同体も大事だけど、個人のそういう感覚と言うか、思いも汲んでいかないといけないと思う。俺の思いも貴方の思いも。

俺はデモにもあまり行かないし、政党にも入らないし、正しさより遊んでいた方がいいと思う性質だ。昔はちょっと違ったかもしれない。でも20代も半ばになると…そういう感じになってくる。

それが間違いだとも思わない。まぁそこそこ楽しく、ただ…ヤバいことには反対する…このくらいでいいんじゃないかなあと思う。
まぁそう思う事にする。
路上鍋にしても何にしても。これからもそうしたい。